浄国寺について

元々は、天台宗の寺院として建立されたのではないか(伽藍の形式上からの判断)と思われる。
場所も、以前建っていた熊本駅付近の本山町(現 熊本市中央区本山)ではなく、
熊本市の寺原周辺で、地名も浄国寺の寺付近であった事によるとも伝えられている。
寺原付近が水害の多い地域であった為、本山町に移築したとも言われている。
その点、諸説あるが確認はされていない。

先代の浄国寺

本寺 大慈寺 修行道場当時の写真

その後、道元禅師の弟子である寒巌義尹禅師が開かれた大慈寺
(熊本市内では大慈禅寺 若しくは呼称としてだいぜんじ)
の六世である東舟義勝大和尚が曹洞宗の寺として継承し、
長く雲水の修行道場でもあった大慈寺の出張所的な存在として存続した。
宗教法人としては、大慈寺八十七世である仰山堅高大和尚(浄国寺開山となる)の時に独立。
当山六世大安鶴彦大和尚示寂(逝去)後、
第二次世界大戦後の混乱期という時代背景も有り、
住職不在で、寺自体も不逞の輩等による不法占拠等で廃寺寸前の状態となった。

本庁からの派遣で着任した七世無関道全大和尚(先代住職)は、
私立高校の教諭を兼任しながら生計を立て、
民事裁判を起こし不法占拠者の排除等に尽力し、
浄国寺復興に着手した。

昭和42年4月、白川の河川敷工事の為現在地に移転
(現在はANAホテルズニュースカイの対岸の河川敷となっている)
その際、境内に墓地に関しては、一部は伽藍裏の山中にある浄国寺墓地
(法規制の為、境内に墓地の開設許可が下りなかった為)
及び境内の納骨堂へ移設。
一部は、公営墓地や霊園、他の寺院の墓地へと移ったケースもある。

現在の浄国寺

又、現在地に移設した際、地元からの要望も有り境内地に幼稚園も開設した
(開設時は清水幼稚園、その後 高平幼稚園に改称。昭和57年より学校法人として独立)
廃寺状態からの復興、宗議会議員活動に対して、
本寺 大慈寺様より先代住職に対して「中興」の称号が贈られている。
熊本市最北端(政令指定都市移行の町村合併により現在は2番目となった)の曹洞宗寺院として、
檀信徒布教や坐禅の啓蒙普及活動を行いながら、現在に至る。

住職 中山義紹
住職
浄国寺八世
道号・法麟

中山 義紹

九州大学法学部出身。
一時は弁護士を目指すも雲水修業時代に改めて方向転換し曹洞宗僧侶の道に入る。
学校法人 浄国学園 理事長、高平幼稚園長も兼任。
二十代から三十代にかけて曹洞宗青年会活動に力を入れる。
元熊本県曹洞宗青年会 会長。
現在 熊日生涯学習プラザ「坐禅の実技と仏教と禅の基礎知識」講座の講師
熊大公開講座講師、カトリック中央協議会(司教協議会)による諸宗教対話活動参加
浄国寺坐禅会主管や趣味の音楽活動(ジャズの演奏)等の活動中

寺宝 活人形谷汲観音像

寺宝

活人形谷汲観音像

活人形師 松本喜三郎翁の大作。
明治4年、浅草観音境内に於いて興行された「西国三十三ヶ所観音霊験記」にて
展示された観音の化身33体の1つ。
平成18年に修復作業が行われ、熊本県文化財に指定されている。

活人形谷汲観音像について
名称 浄国寺(山号は本覚山)
宗派 曹洞宗(道元禅師が開いた禅宗 本山は福井の永平寺と横浜の總持寺)
本尊 釈迦牟尼佛